聖子ちゃんの歌唱力という本質を見のがす

聖子ちゃんの歌唱力という本質を見のがす

1980年代の最大のアイドル、松田聖子は1962年生まれです。

私が1957年生まれなので私より5歳下になります。

1980年から1984年までの5年間が松田聖子の絶頂期になります。

年齢で言うと18歳から22歳の5年間です。

その時、私の年齢は23歳から27歳です。

仕事をはじめて、だんだん仕事を覚えてきたころです。

当時、私は松田聖子に全く、興味がありませんでした。

テレビやラジオなどで聖子ちゃんの歌はよく聴いていました。

ですから、何となく歌は知っています。

でも、聖子ちゃんの事はただのブリっ子アイドルだと思っていました。

あの頃、私と同年代の男で聖子ちゃんのファンは私の周りにはいませんでした。

隠れファンはいたのかもしれません。

ファンであることを公言する私と同年代の男はいませんでしたね。

私たちより5歳下の男たちは聖子ちゃんファンを公言していました。

聖子ちゃんを知りながら、決して聖子ちゃん世代ではない私です。

それが50歳を過ぎた、最近、聖子ちゃんの歌の上手さに気がつきました。

ただのブリっこアイドルと思っていた当時の私。

聖子ちゃんの歌唱力の事を考えたこともありませんでした。

でも、聖子ちゃんの歌唱力は凄いんです。

聴けば聴くほど、聖子ちゃんの歌唱力の凄さがわかってきます。

その聖子ちゃんの歌唱力の凄さにやっと気がついた自分の浅はかさにあきれます。

ただのアイドルだと思っていて、歌の上手さという本質を見失ってしまう自分。

私はいつも表面的なところにとらわれて、本質を見失うところがあります。

思い返せば、そんなことばかりの人生だったような気がします。

大事なことを見逃して、薄っぺらな表面的なことに眼がいってしまう私。

そのことを聖子ちゃんに気づかせてもらいました。

脱毛 横浜

「本能寺の変」秀吉黒幕説

もう少し長く生きて欲しかったと思う歴史上の人物。

私はすぐに二人が思い浮かびます。

坂本龍馬と織田信長です。

今回は織田信長が暗殺された「本能寺の変」の話です。

本能寺の変は、1582年7月1日、信長の家臣明智光秀が起こしたクーデターです。

京都・本能寺に宿泊していた主君信長と後継者の信忠を襲い、自刃させました。

本能寺の変は日本史上の大きな謎のひとつとなっています。

それはまず、光秀が反旗を翻した原因については定かではない事。

そのことを多くの歴史家が研究しています。

しかし、現在でも定説と呼ばれるものは確立されていないのです。

光秀の恨みや野望に端を発するという説。

そして、光秀以外の首謀者がいたとする説など多数あります。

一番おもしろいのが「羽柴秀吉黒幕説」です。

いろいろな説に比べると、物証に欠くため学説としては定着していません。

でも、一番おもしろいし、想像するとワクワクする説ですよね。

秀吉は事前に知っていたのではないかというほどの都合の良い状況。

その都合のよい状況で光秀と戦って、当然のように勝利を収めます。

また本能寺の変をきっかけに秀吉が天下人となります。

結果的に一番利益を得ているのが秀吉です。

これはあやしいですね。秀吉ならこれぐらいの絵は書きそうな気がします。

秀吉のあの有名な中国大返し。

沼城から姫路城まで70キロの距離をわずか1日で撤収しています。

これは事前に用意をしていなければ不可能だと歴史家は言います。

中国大返し後の織田方有力武将への切崩しが異常に速いのもあやしいです。

そして、変を知らせる毛利方の使者が間違えて秀吉の陣に入るのも都合がよすぎる感じがします。

すべてが都合よく上手くいきすぎです。

でも、秀吉の運はそれだけものを持っていたのだと言われるとそれまでですが。

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